辻本賢人、15歳で阪神に入団するもその野球人生は苦難の連続だった。

ドラフト、辻本賢人

みなさんどうも。ヒダカです。

辻本賢人さんという元プロ野球選手を知ってますか?
かつて15歳という最年少で阪神にドラフト指名された選手です。

辻本さんはアメリカの学校に通ってたので少し事情が違うのですが、日本で15歳というと中学校を卒業して高校には行かずにプロ野球選手になったということになりますね。

彼の近況について詳しくはこちらのNumberの記事で見れます。
[最年少15歳で阪神に指名と、その後。辻本賢人、再挑戦の日々に悔いなし。]

彼が阪神を退団したのは知ってたのですが、アメリカで再挑戦をしていたことは知らなかったですね。

 

辻本賢人

当時15歳で指名されたということで大変話題になったのは覚えています。
アメリカのリトルチームでピッチャーをやっていてすでに140キロを越すストレートを投げる素晴らしい逸材の選手だという印象がありましたね。

もうすでにプロ級の実力があるみたいなニュースを見た記憶もあります。
その当時の阪神の監督だった星野監督の口添えがあったのかどうかは知りませんが将来性をかわれて15歳という若さで阪神入りすることになりました。

 

15歳のプロ入りというドリーム

僕もこのニュースを知った当時はまだ学生で野球をやっていたのでものすごく夢を感じたんですよね。
すげー、僕とそんなに歳が変わらないのにプロ選手になれるやつがいるのかって。

だから辻本さんには憧れのようなものを持っていました。
この15歳での指名というのはそれだけ大きな出来事だったのです。

一度こういう選手が出てきたからにはあとに続いてく選手もどんどん出てくるんじゃないのかなと当時は思ってました。

 

いつの間にか退団していた

それから数年後になるのですが、僕はたまたま辻本さんのことを思い出したんですよね。
あれから何年か経つけどいまも頑張ってるのかなと彼について調べたんですよ。
そうしたら丁度その年は辻本さんが阪神から戦力外通告を受けた年でした。

その年のトライアウトなどにも出たようですが134キロに100キロの変化球というとてもプロでは通用しないボールしか投げれなくなっていたようです。
故障などにいろいろと悩まされてたみたいですが今度は20歳という若さで日本のプロ野球から去ることになりました。
20歳というと高卒2年目の選手が戦力外通告を受けるようなものですね。

これを知ったときはやはり15歳という若さでプロ野球選手になったのは早すぎたんだなと思いました。

 

アメリカで再挑戦していた

僕はそこで辻本さんの野球人生は終わったとすっかり思ったのですが、この記事の冒頭で伝えたNumberの記事を見てアメリカで再挑戦していたのを知りました。
それも最速で151キロも出すほどの成長をとげていたみたいですね。
そしてニューヨーク・メッツとマイナー契約をし見事に野球選手として返り咲いたようです。

ただ、利き腕の右肘の故障でメスを入れたりなどをしてメジャーデビューをすることはできず引退をすることなったようですが。

「もうやりきりました。肘のリハビリも大変だし、もう方向転換します」
「やるだけやりました」

Numberの記事でこのように発言していますが、辻本さんなりに最後まで挑戦し続けて納得できる引退だったようですね。

 

学生野球を経験していればどうなっていたのか

辻本さんはアメリカで日本の義務教育に当たる9年生課程修了を終了していたので日本の高校野球ができたのかはわかりませんが、15歳の年にプロに行かずに高校野球を経験していればどうなっていたのかと考えずにいられません。

やはり若すぎたというのが問題だったと思うんですよね。
15歳というこれから一番伸びていく時代にプロ野球に入ってしまったことで試合で投げるという経験が圧倒的に不足していたのではないかなと思います。
それに15歳というプロ選手はほかにはいなかったわけですから同期もいない中で孤独だったと思います。

ドジャースの前田健太選手、ヤンキースの田中将大選手と同い年なのですが彼も高校野球をやっていればこの中に入ってい肩を並べていたのではないかなとつい思ってしまうんですよね。

 

さいごに

辻本さんのことは僕の中では少しくすぶってた話題だったんですよ。
だけどNumberの記事が見れたことでようやくそれもなくなりました。

いろいろと残念に思うことはありますが本人は最後まで野球に挑戦して、自分なりのけじめをつけて引退することができたようなので良かったです。

何かあればコメント、問い合わせ、Twitterなどから気楽にご連絡ください!
それではまた!

 

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